昭和49年05月05日 朝の御理解



 御理解 第74節
 「可愛いと思う心が神心じゃ。」

 可愛いと云う心のこれは内容が、矢張り神心でなからなければならないと云う事と思うです「可愛いと思う心が神心じゃ」と、だから神心が可愛いと思う心の中にある、可愛いでなからなければならない。ただ可愛い可愛らしいと、ただ可愛そうにとこう思うだけの物ではないと思うですね。教祖様の御時代に、大阪の難波からお参りになる、近藤藤守と言う先生がある。ある時のお参りに途中で霞網を以て雀を捕る。一網打尽にする訳です。それを通りすがら見られて、その事を教祖様にお話になっておられます。
 「世の中には可愛い事をする人間がおります。今日は途中でこんな事を見て参りましたが」と言うてお届けをされますと、教祖様はすぐ御神前に出られてから、御裁伝があった。「その可愛いと思う心が神心じゃ」と仰った。だからこの近藤藤守先生の可愛いと言う心の中には、何とかして助け様がないものだろうかと云う物があったと私は思うです。私が今日、ただ今頂きます、可愛いと思う心と、その可愛いと云う心の中には、内容が神心でなからなければならないと云う事。
 その、なら、私は神心とは、ここではです。ああ可愛そうな事、何とか助ける手立てはないだろうかと、そう云う物が内容になからなければいけないと思うですね。ただ可愛いと思うだけのは、むしろ憎い可愛いと言う心はおかげを受けられない心とすら四神様は仰っておられますからね。それこそ目ん玉の中に入れたっちゃ痛くないと云う程しに、可愛いのがありましょう。いわゆる猫可愛がりとでも申しますか。そう云う可愛いじゃないのです。何とか助け様はなかろうかと云う内容それが神心。
 私は昨日午前中の奉仕の時に、田主丸の小野先生が参ってきまして、それで由布院の方に別荘を買っております。岩崎と云うまあ大変な人ですが、あちらに別荘地帯を言わば九州の何ですかね、どこかあちらに別荘地帯がありますね。その大きな別荘地帯を目指してから、それはもう大変な大がかりでなさっておられます。それであちらに別荘がこう建てられた時に招待をされまして、私と秋永先生だったかなあなたもでしたか。高橋さんと三人で呼ばれて行った事がある。それはもう大変な大掛りな事だった。
 所がそう云う大変な大掛りであればある程、色んな問題も沢山あった訳で御座いますが、そして初めて社長である所の岩崎さんと言う方に会って、大変なサービスを受けて帰って参りました。その時にそれは素晴らしいお家なんですけれども、例えば東京の三越で一階だけを全部、漆展があったんですよ。その時にその漆展に出品した、それを全部一人で買い占めたと云う位な人ですから大体実力が判ります。
 ですからそのお礼にと言うて、人間国宝の漆師がお便所でも何でも、もうそれこそ漆で天井から漆で、お礼に来てその仕事をしてくれたと言う見事なお家なんです。そこに今共励殿にあります大テーブルと同じテーブルが、それも彼が作ったんだと私それで、お食事をよばれながら「いいなあ是はいいなあ」と私が言ったんですよ。そしたらその岩崎さんが「お宅にこう云うのを据える所がありますか」と言うから「ありますよ。
 広い部屋がいくらもあるから」と私が申しましたら「そんなら、是と同じ物を作らせて送ります」と言うておったんです。とてもそりゃ本当と思わなかったんです。そしたら丁度、その年のクリスマスの前日です。あのうプレゼントを送りましたから、受け取ってくれと云う電話がかかって来た。その直後に大型のトラックで荷造りした、それですぐ向こうに東京に注文されたらしいです。それが出来上がって来たのを、ここにお供えなさっておられる。ここには全部で二回しか見えませんでした。
 そう云う方の事で昨日「今日は由布院の方へ参ります。色んな問題がこじれておりますし、問題が起こっておるし。そしてあの時先生買わんで良かったですよ」と。家にも是非買えと云う様な、高橋さんや秋永先生あたりも、もう買う寸前じゃったんですけれどもね、所が、御神意を頂いて、『買うこといらん』と云うとでしたから、買いませんでしたが、やはり問題が今に残っておる訳です。
 維持費が毎月三万ずつばかり掛かるし、行くとは年の一回か二回しか行かんのに、もう本当に勿体ない話なんだけれども、そして今岩崎さんが癌で病院に入院して、助かるまいと云う事だと言うのです。そん時に私はそれこそ、ただ私とは一二度しか会ってないし、なら、ああいうテーブルをお供えされたと云う縁がありますからね、何とか助けられる手はないのだろうかと思うたです。
 で「岩崎さんの名前は何とか言いよったね。兎に角電話ででも良いから、御取次を願われる気になられる様に、あなた今日行かれたら言うて下さいよ。御神米を言付けておくから、忘れん様に言うて下さいよ」と言うて、御取次させて頂いた。そしてその事をお届帳にその事を御取次をさせて頂いて、頂いた事が、『芥川龍之介と云う人の小説に「蜘蛛の糸」と云うのがありますね。昔よくお話し頂きました。ある日お釈迦様が、それこそ蓮の穴の咲き乱れた中を朝の散歩に出ておられた。
 丁度お釈迦様のおられる足元、足のその下が、血の池地獄になっておったとそれを見るともなしに、下の方をご覧になると、もうそれこそ沢山な助かってない亡者たちが、もう大変な苦しみをしておる。その苦しんでおる中にです。一人見覚えのある亡者がある。よく見るとそれは、漢陀多と云う、もうこの世で悪の限りを尽くしたと云う大悪人の漢陀多が苦しんでおる姿が目に止まった。ああ云う大悪人でも、ある時に山越えをする時、山道で一匹の大きな蜘蛛に出会った。
 そしてその蜘蛛を踏み殺そうとしたけれども、ハッと心の中に、可愛そうと言う心が起こった。それで踏み殺さずに助けたと云う。ああ云う事がああ云う大悪人でもあったんだ。その事を通してです。その事を助ける手立てとしてです。これは助けてやろうと云うので、銀色の蜘蛛の糸をお垂らしになった、その上から。丁度目の前にそう云う銀色に光る糸が下りて参りましたから。
 もう無我夢中で漢陀多はその糸にすがって登り始めたと云うのです。一生懸命登った。そしてふっと下の方を見ると。下の方にどれだけの数やら判らん程しの亡者達が、その糸にすがってやはり自分の後を登ってきておるのを見て、漢陀多が、大きな声で、「この糸は私が助かる糸なんだ。お前たちは登って来てはならない」と言うて、大きな声で叫んだ途端にです。音をたててその糸が切れたと云う。
 またその血の池地獄に逆戻りする漢陀多の姿を見て、お釈迦様がね大変悲しい顔をなさったと言うお話なんです。その事を頂くんです。それは岩崎さんと言う方は、大変な方ですからもう大変な色々な、天地に対するお粗末ご無礼な事もあったに違いありませんがね、けれどもたった、私とは会うのは一二回であった。しかもその時にならここの御広前にああ云う、合楽の一つの名物と言われる様な、大きな大テーブルがね。
 お供えになったと云うその事からです。何とか助けられる手立てはなかろうかと、そう思うた時にです今の事を頂いた。そして今朝この事を頂くんですよね。「可愛いと思う心が神心じゃ」と。はあ私初めてこの神心の内容を判らして頂いた気がするんです。可愛いと思う心の内容には、どうかして助かる手立てはなかろうかと言うその心が神心なんです。それでもです。例えばなら我情が我欲がです。
 「この糸を誰の糸と思うておるか。お前達は登って来てはならんぞ」と云う、助かるその途中にありながらも、そう云う根性を起こす所に、また元に逆戻りして行かなければならない、人間氏子の姿と云う物がです。お釈迦様が、その血の池地獄に、それこそ、金槌が沈んで行く様に沈んで行くその姿をご覧になって、大変悲しい顔をなさった。そのままが天地の親神様の心なのだ。それが神心なのだ。
 と云う事を私改めて感じさせて頂いて、そしてたまたま又今朝この「可愛いと思う心が神心」と言う御理解を頂いて、私達が可愛そうな事じゃなあと思た次には、何とか助かられる手立ては無いだろうかと、お話一つでもしてあげる。御神米の一つも持って行ってあげる。そう云う様なね働き、そう云う様な心の状態を神心と言うんだと云う事を今日は頂きましたですね。
   どうぞ。